皆さんは「有田焼」という焼き物はご存じですか?
有田焼とは、佐賀県の有田町で作られている焼き物で、
知らない人はいないくらいに有名な焼き物ですよね。
(関東にいたころは、有田が佐賀だとは知りませんでした…)
その有田焼は、実は韓国との関りが非常に深い焼き物なのです。
今回はその有田焼と韓国(当時の朝鮮)との関りや歴史について、
ご紹介したいと思います!
有田焼と韓国(朝鮮)との関わり
私は、駐福岡大韓民国総領事館のSNSサポーターズとして、
福岡・九州の韓国に関する情報を発信するお手伝いをしています。
先日この関連で、韓国との関りが深い佐賀県西松浦郡有田町に行ってきました。
かなり盛りだくさんな行程だったので、数回に分けてご紹介したいと思います。
いつも可愛いお菓子セットを用意してくださる、領事館のUさん、
いつもありがとうございます❤
有田町は福岡市の中心地からは車で約1時間半強、
公共交通機関だと電車・特急で約2時間で到着します。
有田焼と韓国(朝鮮)の関わりについて簡単に説明をすると、以下の通り。
詳細はこちらの記事がわかりやすいと思います。(有田観光協会サイト内 有田焼説明)
私は焼き物に関心があったので、この「文禄・慶長の役(韓国では임진왜란/壬辰倭亂といいます)」が、「やきもの戦争」と呼ばれたり、日本の焼き物文化に大きな影響を与えたことは、概略としては知っていたものの、実際に現場を見ながらお話を聞くのは初めてだったので、とても新鮮でした。
この「朝鮮出兵」は、豊臣秀吉率いる日本のエース大名たちが九州に集結し、
朝鮮に行ったことから、九州には関連の場所が数多くあります。
九州オルレ・唐津コースのコース中では、この朝鮮出兵の際に
出陣基地となった場所を数多く見ることができます。(記事はこちら)
有田焼は山の谷間にある有田町で作られています。
昔から分業制を取っており、ろくろ、絵付けなどそれぞれのフェーズに分けて作り上げられ、
その技術に特化した職人さんが関わって作られます。
昔の有田町では、技術者が外で有田焼の技術を口外しないよう箝口令が下り、
細長いまちの北と南には関所が設けられ、厳しい検問があったようです。
フェーズごとの分業も技術の流出を防ぐためだった、との説も。
(現在は一人ですべてを行う人も多いらしい)
中国の焼き物が一世風靡していたころ、その産地である景徳鎮の焼き物の人気が高かったものの、
非常に高価だったため、有田で格安のものを日本向けに作り始めたことがはじまり。
もともとの「有田焼」は、有田で作られ、伊万里港から出荷されたことから、
「伊万里発の焼き物」=「伊万里焼」と呼ばれていたそうですが、
のちに鉄道が通ってからようやく「有田焼」と呼ばれるようになったそうです。
有田焼の発展に大きく関わった「李参平」は、
朝鮮出兵ののち九州に連れてこられ、まず日本名を名乗るように命ぜられ、
「金ヶ江三兵衛」となります。
当時の背景から、苗字を受けるということは「名字帯刀」で「武士の身分」になるということ。
武士と同じ身分を与えるということは、よほどその技術が欲しかった、ということが見て取れます。
その後の調査などを通して、「元の名前は『李氏』だったのでは」ということがわかり、
「李参平」といわれるようになったそう。
(金ヶ谷なら金(キム)氏だったのでは?とも思いましたが違うようです…!)
その、李参平はもともと佐賀県の多久という場所で作陶をしていましたが、
1616年に有田に移住し、有田の泉山で磁器のもとになる陶石を発見したことが、
大きな功績となっており、のちの有田焼にも大きな影響を及ぼします。
九州陶磁博物館
九州陶磁文化館では、德永貞紹さん(佐賀県立九州陶磁文化館 学芸課長)が館内をご案内くださいました。焼き物大好きな私としては、専門的なお話を深く伺うことができて、とてもよい勉強になりました。
柿右衛門のうつわ。
ガラスコーティング(長石)を施した白いうつわに、
さらに絵付けをするスタイル。
ぷっくりとした凹凸を感じます。
こちらは、30分ごとに音色を奏でるからくり時計。
機械の部分を除いて、ほぼすべて有田焼で作られています。
四季の花があしらわれ、夏は紫陽花。
どのように焼き物が枝分かれしたのか、がわかりやすく説明されています。
佐賀藩のエリアを中心に、九州の焼き物文化の発達を見ることができます。
ヨーロッパの生活様式やニーズに合わせ、洋風のうつわも多く作られました。
こちらは焼き物の原料となる「陶石」。
お昼は本陣で「有田焼五膳」
お昼は「お食事処本陣」にて、地元のブランド鶏「ありたどり」をふんだんに使った「有田焼五膳」をいただきました。
という盛沢山のラインナップ。
この「有田焼五膳」、お弁当のように四角い有田焼のうつわに入っているのですが、
この紐は、軽く引っ張るだけでスッとほどける結び方になっています。
むずび方の説明を伺ってからふたを開けたので、「おおおお!!!」と感動しました(笑)
鶏肉大好きな私としては、すべてがおいしく大満足でした!
(ご飯の量が少なめなので、よく食べる方には少し足りないかも知れません。)
ごどうふは、「呉豆腐」と書き、豆乳に葛粉などを入れて固めたもの。
ぷりんのようにフルフルでとってもおいしかったです。
有田ではこの「ごどうふ」が有名で、昭和の初め頃、大豆を買い付けに長崎を訪れた有田の商売人が、中国人からくずを使った豆腐の作り方を教わったのが始まりという言い伝えがあるそう。
食後のコーヒーまで素敵なうつわで味わうことができ、
とても良い時間になりました。
ありたさんぽより
この日の行程は以下の通りです。
後半はまだ次の記事でご紹介したいと思います☺️
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