九州韓国関連スポット

壱岐の中の韓国をめぐる【九州の中の韓国探し】

すず

<この記事を書いた人>

✔ suzu-trip 運営者

✔ 神奈川県出身

✔ 福岡在住10年目(2024年現在)

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先日、福岡市の博多港から1時間程度で行くことが出来る、
長崎県の壱岐行ってきました。

壱岐はその立地から、昔から韓国(当時の朝鮮)との関わりも深く、
「朝鮮通信使」に関する史跡が世界遺産に登録されたのは記憶にも新しいです。

 

今回は駐福岡韓国総領事館の行事である、
「九州の中の韓国探し(壱岐)」という行事に同行し、
長崎県壱岐市にある韓国関連の場所を巡ってきました。

興味のある方はぜひ訪問してみてくださいね。

Memo

この様子は、駐福岡大韓民国総領事館のHPにも載っています。

 

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博多港から壱岐へのフェリー

博多・天神方面から、博多港まではバスの本数があまり多くないため、
タクシー利用が便利かと思います。

 

博多ふ頭前行き バス時間
  • 天神ソラリアステージ前 90番
  • 博多駅西日本シティ銀行前F(バス) 99番/49番 

私はこの日、早めに出発し、呉服町駅からテクテクと歩いて向かいました。

公共交通機関を利用するのであれば、地下鉄「呉服町」駅から徒歩25分程度です。

博多港からは周辺の各島へのフェリーが出ており、
ほとんどの船は第一ターミナルから出航します。

この日の壱岐行きのフェリーも第一ターミナル発でしたが、
進行方向目の前にデカデカと立ちそびえる「第二ターミナル」の存在感に、
うっかりそちらの方に行ってしまいました(笑) 

フェリーターミナルの建物には、ファミリーマートがあったり、フレッシュネスバーガーや、
パン屋さんがあったりとかなり充実しています。隣の建物には、レストランなども入っています。

第一ターミナルの中はこんな感じ。

チケット販売場所はこんな感じです。
受付でチケットを購入します。

博多港から壱岐までのフェリー料金

大人片道 ジェットフォイル 4,620円

今回はジェットフォイル利用でしたが、
船によって料金が変わりますので、詳細はこちら(九州郵船HP)からご確認ください!

この日は、駐韓国総領事館のイベントとしての参加だったこともあり、
こんなうれしいお土産もいただくことができました!
(準備くださった担当者さん、ありがとうございます!)

看板の後ろには列ができており、時間になると船へ乗船案内されます。

我らは10:30のヴィーナスに乗ります!

遠くに見えるのは、行きたくともコロナの影響でなかなか行けない
韓国と、ここ福岡を結ぶ「カメリアライン」と、真っ赤な「クイーンビートル」です。

パキッとした赤が、海と空の青と、
周りの建物の白にしっかり映えています。
近いうちにクイーンビートルにも乗りたいですね。

 

そして、乗船!
チケットに書いてある座席に座って、
船酔いが怖いので無理やり寝ました。(といいつつ、爆睡。)

そして、起きたらこんな光景が!!!
爆睡のおかげで、1時間の船旅が一瞬でした。

今回は駐福岡韓国総領事館のイベントにご一緒させていただいたこともあってか、
島の方々がお迎えにきてくださっていました。(いつも…ではないハズ)

やっぱりこういう歓迎は嬉しいですよね。
謎の帽子も可愛い!😂
(あとでこの帽子は「鬼凧」ということが判明。
最下部のおまけで説明しています。

「駐福岡大韓民国総領事館様 今日はご訪問くださりありがとうございます!」

 

バスに乗り込み、まずは昼食へ。
お店のすぐ横にはこんな光景が。

 

干した大根が吊るされています。
どこも冬支度ですね^^

大根の写真を撮っていると、おうちの主がご登場!
「これは大根よ〜」っと、いろいろとご親切にお話をしてくださいました。
(ありがとうございます!☺️)

 

大韓民国人慰霊碑

昼食後に向かったのは「大韓民国人慰霊碑」。
目の前には真っ青な海と白い砂浜が広がる海岸が広がります。

その海岸沿いから少し中に入った高台にあるのが「大韓民国人慰霊碑」です。

この大韓民国人慰霊碑は、1945年の日本敗戦のあと、
韓国に帰るための引き揚げ船が難破し、
その被害者の鎮魂のために建てられたといいます。

 

多くの人を乗せた船は日本から韓国釜山へ向かっていました。
しかし、史上最悪の被害をもたらしたとも言われる伊勢湾台風が近づき、
海の状態が悪化したため、壱岐の島の湾で停泊していたところ、
台風の影響で、船が難破・大破し多くの被害をもたらし、
160名以上の人が亡くなったとのこと。

 

この慰霊碑は、その事故で亡くなった方々のための慰霊碑とのことです。

総領事と共に手を合わせる一向。

 

天徳寺

大韓民国人慰霊碑から程近い場所に「天徳寺」というお寺があります。
ここは、前述の引き揚げ船が難破事故で亡くなった方の遺骨が保管されているお寺です。

 

この天徳寺は戦後間も無くから慰霊行事を行い、
98年からは、韓国慶州の水谷寺と交互に慰霊行事を行ってきたといいます。

ちょうど少し前に、戦争後半〜終戦後・引き揚げ船での帰国に関する本を読んだこともあり、
御住職が説明される内容がその本の内容と重なりました。

 

ここからは、ガイドの方と天徳寺の御住職さんから聞いた、
引き揚げ船難破事件のお話を中心にご紹介します。

 

船が難破したその日、船には約300名の人が乗っていたと言われているとのこと。
のちに甚大な被害をもたらした枕崎台風が接近した九州周辺は、
大シケのため、この船も比較的落ち着いている壱岐周辺で
台風をやり過ごすことにしたのでは、と推測されています。
芦辺(あしべ)の港周辺は当時、大きな岩がごろごろした海岸で、
300tあった大きな船を接岸させられるような環境ではなく、
少し離れたところに、避難したその船は碇を下ろし、芦辺に停泊したといいます。

 

次第に海は荒れ始め、壱岐の島民は停泊する船に向かって小舟をだし、
荒れ狂う大波の上下差を見計らい、高いところ(船)から、
低いところ(小舟)に移れる者は陸地に避難するように促し、
健脚な若者を中心に壱岐の島に避難したと言いいます。

 

その際、老人・女性・子供は無理に小舟に移るよりも、
大きく安定した船に残った方が良いと言う判断となり、
その場に残った人がほとんどだったそう。

 

そして、避難した若者たちは近くの集会所のようなところで
握り飯(当時からすると多分麦飯のおにぎりだったのでは、とのこと。)
を分けてもらい、一夜を明かしたといいいます。

 

明くる朝、海岸に向かってみると、
そこには真っ二つになった大きな船があり、
芦辺の海岸には多くの亡くなった方が打ち上げられていたそうです。
亡くなった方の多くは、船に残った女性や子供、老人で、
誰もが「あんなに大きな船が真っ二つになるなんて…」と思ったそうです。

 

そうして、この芦辺の海岸には168体の遺体が集められ、
その日はこの街のお祭りの日でもあったため、
遺体は人目を避けるように大回りをし、
現在慰霊碑があるあたりのの海岸に埋められたそうだ。 

 

またこの事故で生存した人がいたという話はあっても、
名乗りを上げる人はなかなかおらず、当時の真相は闇に包まれ、
「停泊していた船の友綱を島民が切ったのでは」などと
新聞等で報道されたりしていたそうで、
お話しを聞いたご住職はそのことに終始心を痛めていたそう。

 

しかし、その後、生存者の証言が出てきて、
前述のように詳細が少しずつ明らかになってきたといいます。

 

その後、しばらく経ってこの埋葬された人たちが
広島三菱の徴用工だった方々なのでは、という話がでて、
調査のために遺骨が発掘され、広島の本願寺に送られたとのこと。
しかし、その可能性が否定され、今度は国預かりということで、
埼玉の金乗院へと移され、
その後何年かの時を経てここ「壱岐」へと戻ってきたのだといいいます。

 

現在は、写真左の納骨堂にその遺骨が収められてれています。
納骨堂の中も見学し、お線香も上げさせていただきましたが、
その写真は配慮し掲載しないこととしたいと思います。

左が納骨堂、右が本堂

上に書いた話は、生存者の方からの証言がなかなかない中、
ガイドの方がたまたま出会った
「難破事故の生存者の方の息子さん」が
「父がこう話していた」と生存者であるお父様から聞いた話だそう。

 

ガイドさんと「息子さん」のその出会いもまた物凄い偶然で、
その「息子さん」がレンタカーの予約時間間違えをして
レンタカー屋さんからの送迎車がなかったところを
ガイドさんが韓国語ができるということで仲介をすることになり、
レンタカー屋さんへ案内する道中、
「芦辺港難破事故の生存者」の息子だという話になったそう。

 

こうした偶然が重なって出会ったときいて、
運命の引き寄せというものはあるんだなぁ、と思ったりもしました。

 

その方のお父さんは、
「その時に壱岐の人が助けてくださらなかったら、今の自分はない」と
しきりにおっしゃっていたそうです。

 

現在は国同士の関係もあり、
まだ韓国に戻ることはできず、
ここ壱岐に韓国の方々の遺骨が安置されています。
早く韓国の地に帰れるようお祈りします。

写真はお寺の御住職さん。

より詳しい話を知りたいと言う方は、こちら(西日本新聞記事)もご参考ください。 

 

 

朝鮮通信使接待所跡

朝鮮通信使接待所跡は、かつて朝鮮通信使の宿泊所だった場所で、
現在は阿弥陀堂になっています。

 

ちょっぴり(いや、かなり?)年季の入った建物は、
写真の方々がお手入れをして、状態をたもっているそう。

 

時間の関係でゆっくりお話をお聞きすることができなかったのが残念ですが、
「今度またゆっくりきー(きてね)」と言ってくださったので、
次の訪問の機会にはゆっくりお話を聞けるといいな、と思います。

写真撮っていいですか?とお尋ねしたところ、
「え!??私ら???」と大慌てで並んでくださったみなさま!
今度はまたゆっくりきます!^^

阿弥陀堂から大通りを振り返ると、
とっても素敵なこんな景色が広がります!

一支国博物館

こちらは建築が有名な(建築家黒川紀章設計)「一支国(いきこく)博物館」です。

建築家 黒川紀章氏は、福岡県庁や沖縄県庁、福岡銀行本店、クアラルンプール空港の設計などを手掛けた建築家とのこと。(詳細

博物館に入ってすぐ、まずはその概要を知るために、
映画館のようにくらいエリアに案内されました。

 

その昔、この島にあった「一支国」の成り立ちや、
「歴史」、朝鮮半島との関わりなどのショートムービーを見た後に、
スクリーンがばーーーーん!と降りて、
当時と変わらぬ景色であることを実際に見ることができます。
(直射日光すぎて、目が失明しそうなくらいの光度差でした…😂)

可愛らしく、精巧に作られたジオラマの展示が多く、
見ていてもとても楽しかったです!

こういう人、タイの市場でも見たし、
韓国の市場でも見た気がする…!!😂

穴掘って人骨が出てきてびっくりするのは昔も同じだったのかな、
なんてこのジオラマをみて思ったり😂

 

とても楽しい時間を過ごすことができました!

 

まとめ

福岡在住6年目にして、初めて行った壱岐の島でしたが、
まずは海の美しさに感動しました。

 

今回の旅のテーマは「韓国」を切り口としたもので、
日本と韓国の戦争にまつわる史跡も巡った、
いわば「ダークツーリズム」の要素も含んでいました。

 

最近、ここ100年くらいの歴史の本を読んだこともあって、
今回の旅で訪れた場所に関わった人や出来事に対して、
「自分ごと」としての目線で見ることができて、とても勉強になりました。

授業の後の社会科見学のように、
概要を学んでから、実際見聞きして、
「自分ごと」として落とし込んで理解をすると、
より一層身近に感じますね。

 

今回は日帰りでした、今度はまたゆっくり
壱岐の島をまるごと堪能したいと思います!

 

最後は最高の夕日と、
「壱岐島でまっちょるけんね〜!」という嬉しい横断幕のお見送りで、
初めてきたにも関わらず、「ただいま!」と帰ってきたくなりました☺️

  

(おまけ)鬼凧ってなに?

島を回っている時に何度も目にしたこの凧。
何の意味があるんだろう?と思って調べてみたら、、、

昔々、壱岐は、“鬼”がたくさん住んでいた鬼ヶ島だったそうな。鬼は、島を我が物顔で荒らしまくり、島に住む人を苦しめていたらしい。その鬼の悪行を見かねた豊後国(=ぶんごこく 現大分県)の若武者百合若大臣(ゆりわかだいじん)が壱岐に鬼退治にやってきた。百合若大臣は、壱岐に着くやいなや、次々と鬼に切りかかり、鬼をやっつけていった。最後に残った鬼の大将である「悪毒王(あくどくおう)」と相対した。悪毒王との激戦の末、百合若大臣は刀を振り下ろし、悪毒王の首を斬り落としました。斬り落とされた鬼の首は空中に舞い上がり、百合若大臣の兜(かぶと)に噛み付いたがそのまま、死んでしまった。その勇士の姿を描いたのが“鬼凧(おんだこ)”です。

壱岐市立一支国博物館HPより

こんな意味があるようです。
なんだか怖いシーンが再現されている凧ですね😂

 

冒頭のお迎えで島の方がかぶっていた帽子は、
この若大臣の頭にかじりついて兜をイメージした帽子だったんですね😂

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韓国を仕事にするかたわら、ブログを書いています。コロナ前は365日のうち100日くらいは韓国にいたので、そのくらいまで戻したい所存です🙏

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