ここでは私の自己紹介と媒体等のご紹介です!
基本的なプロフィール
【名前】すず
【年齢】30代
【出身】神奈川県横須賀市
(生まれは東京都(現)西東京市)
【関連地域】
青森県(母方実家/南部弁エリア)、群馬(おばあちゃんの出身地)、
宮城県(おじいちゃんの出身地)、横浜市港北区(7年くらい住んでた)、
韓国・ソウル(8カ月留学)
【在住】福岡(Iターン。在住9年目)
【職歴】
都内美容室にて美容師アシスタント、
某韓国アイドル芸能マネージャー&ヘアメイク
【バイト経験】
高校一年生の時から嵐のライブに行くために、給料のよさそうな、楽しそうと思う仕事はとりあえずやってみて、
せっせと身を粉にして働いていました。
- お寿司屋さん(3年)
- ライブスタッフ(ケータリングスタッフ、チケットもぎり、グッズ販売などなど)
- チケット販売スタッフ
- 試食販売
- ラーメン屋(4年)などなど
意外と、コンビニでは働いたことがありません。
【趣味】
韓国田舎旅行、写真(一眼・フィルム)、カフェ巡り
発信している媒体
当サイトの(suzu-trip)のコンセプトや人気記事
このブログ「suzu-trip」は、
福岡×韓国
がメインコンセプト。
福岡に住む韓国に関心のある方が
欲しい情報が集まるブログを目指しています。
まず初めに読んでほしい記事
私の詳しいプロフィールはこの下に書きますので、
読みたい方だけどうぞ。入退場自由です。🙂
夢を叶えるための段階
私は中学生の頃、シナリオライターになるのが夢でした。
ドラマの脚本を書くことにあこがれ、
大学のことも中学生のうちからいろいろ調べ、
高校もその大学への実績のある大学を選び、入学しました。
高校生活を送っている途中、やりたいことが変わり、
いつしか「ロンドン」で、
「ファッションショーのヘアメイク」をやるのが夢になっていました。
ファッションショーのヘアメイクになるためには・・・と、
いろいろ調べて調べて、調べまくりました。
ショーのない時期にはサロンで
一般のお客様を相手に働かなければいけないので、
そのためには英語はもちろん、
英語圏で『当たり前』であろう文化や教養などを学ばなければ、と思い、
英語が公用語(必修の時間)である、某短大の英文科に入りました。
実際短大の2年間も、なんとか我慢したような感じでした。
私の通っていた短大の最寄と同じ駅の近くに、
名門美容学校があり(のちにここに入学します)、
その学生たちが毎日うらやましくて仕方ありませんでした。
大学辞めたいってよ。
短大に入ったのは、きっと4年制の大学に行っても、
美容を学びたい情熱のせいで、4年も我慢できないと思ったから。
そして、短大での授業は、英語のみ。
授業中は日本語での私語厳禁、
英語での論文、英語の文学作品の読み込みなどなど・・・・
英語が何となく好きかも、話せるようになったら楽しいかな、
というくらいにしか思っていなかった私は、
英語地獄&帰国子女祭のこの短大生活が苦痛で苦痛で仕方なかったのでした。
さらに、この短大までの通学時間は3時間。
課題に追われ、睡眠時間は電車の中で…という生活。
(当時朝まで一緒に付き合ってくれたお母さんありがとう。)
短大卒業、念願の美容学校
この美容学生として美容学校に通っていた時期は、
本当に心底、人生で一番楽しかった時期だと、
今振り返っても思います。
同じ夢を志す仲間たちと夜通し練習をしたり、
一緒にバーベキューをしたり。
とにかく「青春真っ只中!」という感じでした。
私は、やっと二年間我慢していた美容学校に行けた喜びで、
実技の授業も、学科の授業も、楽しくて仕方なかったです。
この時の授業では、今後の生き方の参考になるような教えを
多くの先生から教えていただいた気がします。
私は短大を卒業して、周りの学生たちより2年お姉さんでしたが、
本当に楽しく、年齢の差なく、楽しい学校生活を送りました。
二年生になってからは、国家試験に向けて、
国家試験課題を日々練習し、無事国家資格取得。
念願の美容師になります。
パワハラ職場でのトラウマ生活
学生が終わり、初めての社会人生活は都内某所にある美容室でした。
二年間勤めましたが、ざっくり話すと、THEパワハラな職場でした。
現在も月2回くらいは、この時の夢を見ますwww
詳細は以下の記事をご参考ください(笑)
父親の大反対を押し切った家出 長女。
こんなこと言いたくないのですが、
私の父親は(父親の父親、私にとってのおじいちゃんも)は、大の韓国嫌い。
理由なんて多分無いのでしょう。なんとなく、です。
「よりによって娘(孫)が韓国にはまるなんて!!
韓国に関わる仕事をするなんて!」そう思ったことでしょう。
私が留学するなんて言ったときは、家庭内戦争が勃発して、
留学出発の前日まで戦争でした。
私は自分のやりたいことをやりたいし、私の人生を生きるのは父親ではない。
そう言い聞かせて、猛反対を押し切って、家出するかの如く、旅立ちました。
このとき、良い決断をしたと今でも思います。
人生の勉強、韓国留学
そうこうして、2014年に8か月間、韓国・ソウルに留学します。
この留学期間も本当に楽しく、また学びも多い期間となりました。
世界各国から集まった友達たちと、いろいろな文化や考え方に触れながら、
韓国という慣れない土地での生活は、本当に私を大きく変えてくれました。
歴史、文化、政治、言論、報道、思考・・・・・
すべてにおいて、この韓国生活が多大な影響を与えてくれ、
「今」の私を作り上げてくれました。
韓流アイドルのマネージャーになる
韓国から帰国したのち、某韓流アイドルのマネージャーをしていました。
知人の紹介でこの仕事をすることになるのですが、
一時期、韓流アイドルにはまったこともあったので、
まさか自分がこんな仕事をするとは思っていませんでした。
でもやってみると、とても楽しく、
ライブがある日などは本当に毎日が文化祭の前日のようで、
わくわくしっぱなしでした。(ライブの裏方などが大好きだった私)
また、ここで仕事をしたのは(諸般の事情により。後述)
非常に短い期間ではありましたが、メンバー、スタッフ共に
とても良い仲間に出逢えた良い機会でした。
その団体の代表を除いては。(これ重要)
この団体の代表というのが、パワハラのかたまり。
美容師時代を彷彿とさせる言動ばかりでしたが、
前述した美容師時代を超えた私は、パワハラに対しては
かなり冷静に見ていました。
しかしこの代表、パワハラだけには終わらず、
度重なるセクハラ、それもかなり度の超えたセクハラの常習犯で、
のちに私は、これが原因でこの仕事を辞めます。
メンバーやその他のスタッフたちは本当にいいメンバーだったし、
5年以上が経過した今も、たまに連絡を取り合っており、
みんながそのチームを離れても、
各ポジションで一生懸命やっている話を聞くと、
自分のことのようにうれしいし、
私も頑張ろうと思える、そんな仲間たちでした。
韓国留学を終えてすぐ、生きた韓国語に触れられたのは嬉しかったし、
10代~20代の若者が使う言葉、会社で使う言葉、
公の場で使う言葉、目上の人に使う言葉、韓国式の礼儀など・・・・
多くの生きた韓国語や韓国文化をネイティブたちのもとで学べたことは、
非常に勉強になりました。
そうこうして、この仕事を辞め、
再び転職活動をします。
未知の地 福岡へ
転職活動をする中で、自分の知らない場所で働いてみたい、
とぼんやり思っていたことをかたちにすることになります。
東京(関東)は通勤・帰宅ラッシュが本当に苦痛だったし、
家賃や生活にかかるお金も高い。
いろいろな小さな理由が積み重なって、
ずっとぼんやりと地方都市に行きたいと思っていました。
母親の実家が青森だということもあったので、雪国は経験済み。
寒いのはあまり好きではないので、おのずと南の方面が候補になります。
大阪、京都、神戸・・・関西?
四国?
中国地方?
いろいろ考え、そして職探しを進める中で、
現在の職場の求人を見つけ、面接を受け、
面接を受けた翌週から福岡に住むことになります。
いろいろ候補地はあったものの、
この職場との出会いが一番大きく、
あれよあれよという間に福岡移住が決まってしまいました。
ここからが、言わば私の第二の人生の始まり、と言えると思います。
福岡での生活。最高!
始めは、博多弁も満足に聞き取れず、
「標準語で話してもらえますか?」なんて言って
「関東風」を吹かせているように見えていたかもしれません。
関東風を吹かせていたのではなく、
本気でまったく聞き取れていませんでした(笑)
何度も聞くのも悪いので、なんとなく流して聞いて、
後で話がかみ合わなかったことも多々ありました(笑)
そんな私も福岡留学5年目です。
福岡での生活は本当に最高でした。
完全な独り暮らしは初めてだったので、
少し戸惑いもありましたが、
「一人暮らし最高。福岡最高。」という思いで、
住んだその日から都でした。
まず、福岡の野菜、魚、肉がおいしいのは周知の事実。
関東と比べて、安くておいしい食材が多いです。
また、道の駅などに行くと、
水槽にいそうな 名の知れぬ魚(カラフルなやつ)や、
見たことのない山菜や野菜が売っていたりと、
関東や東北とはまた違う食文化に毎日気づきが多く、
本当にわくわくしながら生活をしています。(今も)
また、スローライフというか。
なんでも手作りでやってみる、というように
考えるようになったのも福岡に来てからでした。
梅干しづくり、梅干しに入れた赤しそから作るゆかり、
出汁からとるお味噌汁、その出汁がらで作るふりかけ、
渋柿を干して作る干し柿・・・などなど。
上げればきりがないですが、
仕事柄、福岡の田舎に住んでいる方と接する機会も多く、
そこでそういったものの作り方や、コツ、
その食文化が定着したいきさつなどを聞くことが多かったため、
だんだんと「スーパーで買ってくる」という考えしかなかった私の中に、
「自分で作って保存する」という考えが入ってきました。
このあたりから、日本の田舎や韓国の田舎に興味が出てきます。
韓国田舎旅行にはまった理由
私がなぜ韓国の田舎旅行にはまったかというと、
ソウル以外の場所も見てみたい!と思ったことがきっかけでした。
以前の私は、ソウル・プサン以外は白地図状態で、
その二都市以外の情報は、地名すら頭にありませんでした。
韓国各地の方言に興味を持ち始め、
また、仕事で訪れた済州島への出張などをきっかけに、
徐々に白地図に色がついていったように思います。
現在は、ソウルやプサンから韓国内に入ることはありますが、
より隅々まで行くことが多いです。
まだまだ知らない素敵な場所があるので、
今後も引き続き回りたいと思っています。
Suzu-tripとSNSでの発信に関して
このブログを始めたのは、韓国の地方都市や素敵な田舎情報を、
もっと多くの人に知ってもらいたい、という思いからでした。
そのほかのSNSに関しても、
私が知っている情報などを共有したいという思いから始め、
今は、本業の退勤後にブログ書き、写真補正、動画編集・・・と、
忙しく作業しています(笑)
日本でも、ほかの外国でも・・・
都市ではなく、地方都市や田舎に行ってこそ、
その土地の魅力を感じられると思っています。
その地には、そこそこにある風土に合わせた文化や歴史が色濃く残り、
脈々と引き継がれている。
それを福岡に来てから改めて感じたように思います。
日本語で検索してもなかなか出てこない韓国の小都市の情報。
これは私が行ってまとめるしかない!と思ったのが始まりです。
個店の情報や、その地域であったこと、名物料理、
どういう風にまわったらいいか、など・・・
韓国の小都市に旅行に行きたいと思う方の
手助けになるような記事をアップしていきたいと思っています。
そして、韓国の小都市や田舎に行く方や、
興味を持ってくださる方がもっと増えたらいいな、と思っています。
また、韓国だけでなく、九州の『観光地ではない素敵な場所』や、
『九州の美しい田舎』の情報などもアップしております。
旅の参考になれば幸いです。
2020年3月頃からは、コロナの影響で韓国に頻繁に行くことが難しくなったため、
現在は「福岡県内や日本国内で楽しめる韓国コンテンツ」や、
本業である「観光・韓国インバウンド」に関しての情報を中心に更新しています。
それに加え、私が今までに経験してきたことや、感じたこと、
今考えていることなどもシェアできればと思っています。
今後もよろしくお願いいたします。:)
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