コラム

韓国語は無駄な言語なのか?韓国語を勉強することを親に反対されたときの話

 

私の父は「韓国」とつく、すべてが嫌いだ。
父の父である(私からみた)祖父も同様に、
韓国や中国は一緒くたにしてすべて「嫌い」だという。
どんな理由があろうとも、だ。

 

こうしてもう何年も韓国語を使って仕事をし、
韓国との様々な事業を行なっていても、
その見方は一向に変わらない。

 

会うたびに、韓国に対する「幼稚な」悪口を言う。

 

私は、韓国の情勢や政治、近代史に関する本も読み、
ニュースも毎日チェックしている。
背景を知っているので、父が薄っぺらい情報で私を挑発しているのがわかる。
私も言われっ放しは絶対に嫌なので、心では呆れつつ、反論する。
(もちろん、暖簾に腕押しである。)

 

実家に帰るたびに起こることだ。
(父や祖父のことは大好きだし、感謝もしている。
しかし、この件はまた別の話である。)

 

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外国語(英語)との出会い

 

私は中学二年の時に英語の担当をしていた先生の
ペラペラな英語を聞いてから、すっかり英語にはまってしまった。

英語が話せるだけで、地球のほぼほとんどの人と
コミュニケーションができると言う先生の話に、ワクワクが止まらなかった。

それからというもの、授業はもちろん、地元の英語教室に通ったり、
高校は、外国への高校留学や、国内の英語科に進むことも考えた。

 

しかし、今と違って留学に関する情報もすぐに手に入るわけでもなかったし、
航空券もどこかの国(英語圏)に行って帰ってくるだけで、
軽く10万~30万円はかかるような時代だった。
そのため、高校留学なんていうのは夢のまた夢だった。

 

そして、高校は普通科に進学し、その後、
イギリスでヘアメイクをしたかった私は、短大の英語科に進学した。

 

このとき、父は「娘が英語を勉強する」ということには大賛成のようだった。

 

英語といえば、アメリカやイギリス、さらに世界共通語なので、
たとえ、ヘアメイクになれなかったりしても、いくらでも活用できる。

 

英語は今も昔も「武器」であり、今や「必須」とさえも言われる。

 

当時の私は英語以外には目もくれず、必死に勉強をしていた。

 

韓国語は無駄な言語か?

Photo by Alexiaa sim on Unsplash

 

そんな父の長女、そして祖父にとっての初女孫がまさか、
こんなにも韓国にどっぷりな仕事をするなんて、
夢にも思っていなかっただろう。

 

詳しくはこの記事を見るとわかるが、

 

紆余曲折を経て、私は念願の夢だった美容師を辞めることになる。

 

しかし、そこのお客様が、貸してくださった
「コーヒープリンス一号店」のDVDがきっかけで、
韓国や韓国語にも興味を持つようになった。

 

新しい言語をどんどん習得していく自分がとても楽しくて、
毎日もとても楽しくて仕方なかった。

 

しかし、私の父親は、私が韓国語の勉強をすることに猛烈に反対した。

 

「なんでそんなに無駄な言語を勉強するんだ!」

 

口癖のように父は言った。

 

もちろん韓国に留学するときなんて、前日まで大ゲンカをした。
一家始まって以来の大戦争だったように思う。

 

当日の朝までほぼ口を利かず、それでも空港に送ってくれて、
(口だけなのかもしれないけど)
応援をしてくれた父にはそれなりに感謝はしている。

 

父親には、「なんでそんな無駄な言語を勉強するのか」と、
何度言われたことか、わからない。

 

言語はもちろん、 業務上どうしても必要だとかで、
役に立つから勉強することもあるだろう。

私の場合は、ただ韓国語を勉強することが楽しかったし、
英語以外の言語を習得していく毎日が本当に楽しかった。

 

「韓国語は無駄な言語」と言われたが、果たしてそうだろうか。

 

例えば、ほぼすべての人が「意味あるだろう」と思いながら、
中学生から勉強したであろう英語はどうか。
全員が英語が話せるようになっただろうか。

大学の第二言語で選択した、フランス語、スペイン語、中国語はどうか。
活用できるほど身についているのだろうか。

 

おそらく多くの人が「NO」と答えるだろう。

 

しかし、それらはすべて無駄だったのだろうか?

 

答えはもちろん「NO」である。

(あくまでも私個人の考えだが)

 

例えば、その言語を学ぶことで、その国への理解や、
言語全般に対する理解が深まったり、
多角的な考えができるようになるのではないだろうか。

たとえ、語学が身につかなかったとしても、
そういったいわば「副産物」である、”大きな”学びがあるのではないだろうか。

 

私はそう思う。

 

また、「使わない」からこそ、「無駄」だと感じるのだろうし、
方面はどうであれ「使う」ことがあれば、
それはその言語を学ぶ上での「意味」に十分になりうる。

 

特に、韓国語に関していえば、
最近、韓国語を勉強する人たちは増えているというし、
KPOPの歌の意味を知りたいとか、
韓国でのライブのMCを理解したいとか、
バラエティに出ているタレントの話している意味を知りたいとか、
ドラマや映画を字幕なしで見たいとか、
様々な理由や目標があって、勉強しているように感じる。

 

私も勉強し始めてから、KPOPの曲も聞くようになったし、
アイドルにも一瞬はまった。

 

でも、それは韓国語を学ぶ上で、力強いアクセルになった。

 

これは私の主観だが、大いにオタクはすべきだと思う。

 

愛はパワーなのだ。(昔のドラマを思い出すセリフ…)

 

 

さて、「韓国語は勉強しても無駄だ。英語か中国語にしろ!」

 

数多く聞いてきたセリフだ。

 

これを聞いたのは私だけではないはずだし、
また私がそうだったように、多くの「韓国語学習者」は、
家族のような近い存在からこの言葉を浴びせられ、
また「韓国語は本当に無駄なのだろうか。」と悩んでいるだろう。

 

きっとこれを読んでいる多くの人たちは、私と同じような境遇で、
強い意志があっても、
「反対されてまでも勉強を続ける意味はあるんだろうか。」とか、
「もしかしたら本当に無駄な言語なのかな?」とか、
ぼんやり思っているかもしれない。

 

他人が韓国語を勉強することを反対する人たちにとって、
英語や中国語はなぜよくて、韓国語はなぜだめなのか。

 

じゃあ、アラビア語なら?インドネシア語なら?
アフリカの少数民族が使う言語なら?

 

おそらく、きっと韓国語より利用頻度が低い可能性が高い言語であっても、
「韓国語は無駄だ」という人たちは特に反応はしないだろう。

 

「え?なんでその言語なの?」とか言いながら、
さも「物好きだな」とでも言いたげな視線を送ってきて、
「無駄だ」とかは言わないと思う。(現に、私の周辺はそうだ。)

 

というか、そもそも。
「韓国語を勉強する人」と「韓国語は無駄だ」という人は、いつも他人である。

 

「韓国語は無駄だ」と思いながら、韓国語をせっせと勉強する人は、
よほどの物好きでない限り(?)いないだろう。

 

勉強する本人は、「こうしたい!」というなんらかのビジョンがあるからこそ、
継続して勉強するのだと思うし、
それは決して他人が介入できない領域だと思う。

 

もし、あなたが学生で、 資金的な面などで親からの援助が必要で、
「韓国語を勉強するなら、援助は絶対にしない!」と言われているのであれば、
また別の作戦を考える必要があるかもしれない。

 

しかし、それ以外なら、
「あなたは私じゃないし、私はあなたの人生を生きているわけではないんだから、大きなお世話や!」とでも言ってしまっていいのではないか。

あなたがやりたいと思うことを、他人が止められるくらいなら、
あなたのやりたいと思う気持ちはそこまでなのかもしれない。

やりたいなら突き進むべきだし、
突き進むとそこにはおのずと未来が開けてくると私は思う。

 

「韓国語を使った仕事をする」ということ

Photo by 301+ Kim on Unsplash

 

私は、韓国語を使う仕事をどうしてもしたかった。
その一心で、神奈川県から、ここ福岡県まで来たのだが、
場所を選ばなければ、そういう仕事はどこかにあるものだ。

 

例えば、「なんでもいいかとにかく韓国語を使った仕事をしたい。」
という人がいると思う。(私もかつてそうだった。)

 

でも、一番重要なのは、韓国語を使って「何を」したいのか、
ということは忘れてはいけない。

 

韓国語を使った仕事は、「通訳」や「翻訳」だけではない。 

 

極端な例を言うと、日本語が母国語である人が、
「日本語を使って仕事をしたい。」というなら、その選択肢はごまんとある。
特に、日本国内でいうならほぼ全てが該当するだろう。
(例外ももちろんあるけど)

 

接客業、事務職、営業職・・・職業のジャンルだって数えきれない。

 

だから、「韓国語」を使って「何をしたいか」、が、
韓国語を業務で使う上では必要なのだ。

やりたいことがなくて、ぼんやりとでも、
「韓国語使った仕事したいな」と思うなら、
アルバイトでもなんでもチャレンジしてみることが大切だ。

やってみて、「違うな」と思えばまた違うジャンルに挑戦してみる。

以前(日本で)こういう仕事をしていたから、
同じジャンルで韓国語が使える業種はどうだろう?
という感じでしていけばよいと思う。

 

 

そして、「韓国語を使って仕事をする」上で、
必要なのは「TOPIK」の点数だ。

他人が見て、言語ができるかどうか判断できるのは、
悲しいことに「点数」しかない。

 

その組織に入り込んだりしてしまえば、
点数を聞かれることはなくなるかもしれないが、
初対面の時に、その人の語学力を判断するのに一番適当なのは、
その言語の「試験点数」や、「級」なのだ。

 

いくら、会話が得意だとしても、
点数がなければ、面接などで判断してもらえないのが現実だ。
書類審査があるなら尚更だ。(点数で足切りされることも多い。)

 

そうして、採用というスタートラインに立ったら、
そこからがスタートになる。

毎日が新鮮で、毎日が青天井の勉強だ。

 

まとめ

Photo by Ra Dragon on Unsplash

 

周りの反対を押し切ってでも、自分のやりたいと思うことをやる。
そう決心するあなたは、素晴らしい。

その決断をした「自由」には「責任」も伴うことは
頭に置いておくと良いだろう。

それが「自信」につながる。

 

 

あなたの人生を生きるのはあなたしかいない。
私も私の人生を生きている。

 

韓国語がいかに無駄だと言われようが、
それは、その言語をいかに利用するかにかかっている。

 

使わない人からすれば、世界で「使える」とされている英語であれ、
韓国語であれ、「無駄」なことにすぎないのは前に話した通りである。

 

韓国語が無駄な言語だと言い張る人が周りにいるのであれば、
あなたが「無駄じゃない」ということを身を以て証明し、
その成功をもって、その相手に「復讐」したらいい。

 

少なくとも私はそう思っている。

 

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韓国を仕事にするかたわら、ブログを書いています。コロナ前は365日のうち100日くらいは韓国にいたので、そのくらいまで戻したい所存です🙏

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