雑記 スズキの人生論 仕事・転職

【無断欠勤した気分はどうですか?^^】私がブラック企業(美容室)を辞めるまで

雑記

私は何度か仕事を変えている。

学生が終わり、初めて社会人として働いた会社では、
退職するまでが本当に壮絶な毎日で、
今でも当時の状況が鮮明な悪夢を度々見るほど、
私の中の「触れたくない過去」だ。

その過去の経験が誰かの力になれば、と
状況を少し整理してアップしてみようと思う。

 

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小さい頃からの夢と現実

私はもともと美容師だった。

都内の美容室で2年ほど働いた。
しかし、その美容室は『THE ブラック』な会社だった。

美容業界全体が師弟関係だったり、
技術職のため、ブラック傾向があるのは仕方ないとも思う。
しかし、私がいた店舗はそれ以上のブラックだったことは、
あらかじめ言っておきたい。

 

仕事は朝練や、営業終了後の練習は、
義務ではないものの、練習をしないと先輩たちに
何やかんや言われる「暗黙の義務」だった。

 

  • 07:00 起床
  • 07:50 家出る
  • 08:30 出社
  • 09:00 開店準備
  • 10:00-21:00 店舗営業
  • 21:00-01:00 練習
  • 02:00 帰宅
  • 02:30 夕食
  • 03:00 就寝

= 1日のスケジュール =

朝8時半出勤、終電ギリギリまで練習し、帰宅は2時。(17時間滞在)

 

お昼の休憩は25分。
平日の少し暇な日は午後~夜に30分程度の休憩があった。

 

休みは月に6日。週に一回~多くて二回の休みだ。
連休は1年間に3度あるかないか。

 

店舗は忙しく、1ヶ月に約2,000名のお客様が来店するような店だった。

 

給与は、総支給16万円。(美容師初任給の相場の金額)
手取りにすると13万円程度。

 

都内一人暮らしで、この勤務サイクルとこの給与では、
とても人間らしい生活が送れるとは言えなかった。 

 

体調の変化

そんな生活を続け、1年半が経過した頃。
両足が痛い日が続くようになった。

立ち仕事だから仕方ないのか、とも思ったが、
ある朝、起床後の第一歩が痛すぎて歩けないのだ。

 

足の裏、特に土踏まずと踵の間あたりが刺すように痛い。

 

何だろうと思いつつ、痛いながらも
家にあったロキソニンでなんとか誤魔化しながら仕事に通った。

 

Photo by Ani Kolleshi on Unsplash

 

この時には足が痛すぎて、家を出ることも億劫になり、
なぜこんなに辛い思いをしながら美容師をしているのだろうか、
と自問自答を続けるようになっていた。

 

休みの日は手荒れの薬をもらいに皮膚科に行くことが多かったが、
今回は整形外科に向かった。

 

整形外科でレントゲンを撮り、その後、診察室に呼ばれた。

 

先生「足が痛いんですね?」

私「はい。美容師なので、毎日立ち仕事ではあるんですが、
痛すぎて立っていられないんです。」

こんな会話をしたのを覚えている。

 

結果的には「足底筋膜炎」という病名で、
高校生の時にしていたバレーボールの練習の時にした捻挫を、
その時にしっかり直さなかったことが原因の一つだということだった。

 

度重なる捻挫で両サイドの腱が伸びてしまい、
その影響で、別の筋肉が常に引っ張られて負荷がかかる状態になり、
今も痛みが発生しているらしかった。

 

また、当時捻挫と思っていたものの、実は骨折していて、
そのまま治ってしまった部分も見受けられるようで、
高校生の時にひどく捻挫したことがすぐに思い出され、
あの時だな、とすぐに思った。

 

この時は、痛み止めと湿布を出してもらい、
しばらく様子を見ることになった。

しかし、この痛みはずっと治ることはなく、
朝起きて、足をつくことさえ激痛に耐えながらだったし、
その痛みが治ることはおろか、日を追うごとに痛みは増していった。
(現在もヒールを履けないのはこのせい。)

 

激痛を我慢してまで、職場に行かなければいけない理由はなんだろう、
と毎日考えるようになり、痛み止めも毎日飲むようになっていった。


薬と負のスパイラル

Photo by Halacious on Unsplash

 

トイレに行く暇もないくらい忙しい日は、
「昼食休憩が夜10時」になることもあり、
その時は、薬が「本当の昼食」になっていた。

 

空腹でも痛みに耐えられないので、薬を飲む。
胃に負担がかかり、食事が入らなくなり、
それでも痛みを抑えないと立っていられない、
薬だけ飲む・・・・
という負のスパイラルになり、
この頃には多分鬱のような状態だったと思う。

 

毎日の食事はポカリスエットとじゃがりこだった。
それ以外は食べても吐いてしまうため、
この二つだけで空腹をしのぐようになった。

  

痛み止めの薬も少なくなったので、
薬を取りに行こうと再び病院に向かった。

以前話した先生と再び話したが、
このままのスタイルで仕事を続けるようでは快方に向かわない、
レントゲンを見る限り、立ち仕事はできないと思った方がいい、
状態はかなり悪い、と言われた。

 

先生も私を気の毒そうに見つめながら、
「この状況を伝えるのは本当に心苦しい。」と言ってくれた。

 

こんなにひどいのに、毎日12時間以上も立ち仕事をしているなんて、
と先生は涙ぐんでいるようにも見えたし、
私もまた泣くのを堪えていた。

 

私は話を聞きながら、「痛みが続くなら仕事を辞めたい」、
でも「小さい頃からの夢で、やっとここまで来たのに、ここで挫折しては…」
という思いが、頭の中でぐるぐるしていて、
どうしたらいいか分からず、涙が出てきた。

 

でも、診察室を出て、足を踏み出した時に激痛を感じ、
身体的にも、精神的にも「やっぱりもう辞めないとダメだろうな。」
と思いながら、帰路に着いた。

 

ちなみに現在もこの痛みは度々あり、
長時間の立ち仕事や、体調の優れない時、
低気圧や天気の悪い日は痛み止めを飲む日もしばしばある。

 

診断書をもらい、いよいよ店と交渉をすることになる。

この時は確か秋だった。
私の中では3月末には仕事を辞める計画だった。

 

円満退社皆無の事実

Photo by Niklas Veenhuis on Unsplash

 

夏の終わり頃に同期が職場を辞めた。

 

同期は、
閉店後に店長に辞めたいと相談をしたところ、
店長に怒鳴られ、髪の毛を掴まれ、
そのまま振り回され壁に投げつけられたようだった。

 

私も店で練習をしていたが、そこは死角で見えなかった。
状況が見えなくても、その様子が推測でき、
恐怖を感じ、どうすることもできなかった。

 

店長の怒鳴り声ははっきりと聞こえていた。
店長はその騒動のあとすぐ、店を出ていってしまった。
店の外でタバコでも吸っているのだろうと容易に推測できた。

 

同期は大泣きして、店の隅でうずくまっているのを、
当時のリーダーがなだめているようだった。

 

そうして、同期は次の日から職場に来なくなった。

同期の選択は最善だったと今でも思う。

 

さぁ、いよいよ私の番だ。

 

店との決戦

辞めたいと口にした瞬間、
私もきっとなんらかの被害を受けることは目に見えていた。

一応、一番近い先輩二人に段階を追って相談し、
二人は黙って話を聞いてくれた。

次は副店長(女)と話をすることになった。

色々話をすると、副店長は私に向かって
「足が痛いとかは、あんたがここを辞めたい口実に過ぎない。
診断書があったとしても信用しないし、絶対に辞めさせない。」と言い放った。

 

この時、洗脳されきっていた私は、
仕事は辞められないものなんだ、と思い込まされ、
日々どうしたら辞められるのかばかり考え、
休みの日には辞める方法ばかり考えていた。

 

何気ない一言で気づいたこと

そして、ふと、ネットでどうしたら辞められるか、
「離職 円満」とか「離職 方法」とか思いつくキーワード全てで検索をした。

検索していくうちに、「離職相談ダイヤル」のようなところを見つけた。
電話で無料相談出来るところがあった。

 

とりあえず、電話をかけてみた。

 

Photo by Becca Tapert on Unsplash

 

「はい。○○相談ダイヤルです。」

 

男性の声だった。

 

「職場を辞めたいんですが、辞めさせてもらえないんです。」

と、言ったら、

 

「辞めるということは、あなたの絶対的な権利ですよ!
相手が辞めさせないというなら、行かなければいい話です。」

 

と冷静な口調で言われ、ハッとした。

 

「仕事は辞められない」と洗脳されていた私は、そう思い込んでいたが、
この名前も知らない(私が覚えてないだけだと思うけど)、
きっと当番でたまたま私の電話に出たのであろう人のこの一言によって、
「仕事は辞めてもいいのだ」という基本的なことに気づくことができた。

 

その方にはこの場を借りてお礼をしたい。

 

そのくらい当時の私の脳内は「会社に行くこと」しか考えられず、
自殺まで脳裏をよぎったほどに追い詰められていた。

 

しかし、この一言でふっと気持ちが軽くなったのだ。

 

振り返れば、この店を円満に辞めた人は一人もいなかった。
それでも私は、できるなら円満に辞めたいと思っていたし、
それができると信じていた。

 

円満退社は果たしてできるのか

副店長に話をし、「体調不良だなんて辞めたい口実に過ぎない」と言われ、
副店長との戦いはとりあえず終わった(?)ものの、
次は同期の髪の毛を掴んで投げた店長への直談判、
さらにその上には、社長への直談判が残っていた。

 

店長に話をしたいと持ちかけたところ、
副店長から話を聞いていたのか、内容を知っている様子だった。

 

警察沙汰になってもおかしく無いような同期の件もあったためか、
私がこの話を持ち出すなり、「その話は副店長にしてくれ」とその場を去り、
全く取り合ってくれなかった。

 

副店長には店長と話せと言われ、
店長には副店長に話せと言われ。
正真正銘の「たらい回し」にされたのだった。

 

 

一応、社長と話す機会も待ってみたものの、
その機会はいくら待っても訪れなかった。

 

そして、ある日突然、副店長に呼び出され、
「5月末に退職していいということが上層部会議で決まったから。」
と言い渡され、その話を3月末日のミーティングで
スタッフに発表する、とのことだった。

 

退職していい・・・?

 

辞めることに会社が許可を出さないといけないのか、と
頭の中はハテナでいっぱいだった。

「離職相談ダイヤル」で勇気を得た私は、
その言葉を聞いて「出社しない大作成」の日程は決定した。

 

決戦は土曜日

5月末で辞めるという発表がされる前に辞めないと、
5月末まで辞められないと思ったので、日にちは前倒しに。
3月最後の、発表の当日の朝に決行することにした。

 

前日の夜。

明日の予約表を見る。

 

いつものように予約がぎっしり。
馴染みのお客様の名前もある。

 

少し迷った。

 

私が行かないことで、スタッフたちが大変になることは目に見えている。
いつも私を指名してくれるお客様はきっと
私がいないことを不思議に思うだろう。

 

色々なことが頭を巡ったし、
この2年間のお客様との思い出がたくさん浮かんできた。

 

当日の朝はまだ迷いが少しあり、とりあえずいつもの時間に出社した。
電車に乗って、店に向かう風景は至って平常。
平常じゃないのは私の気持ちだけだった。

 

途中駅からいつも乗ってくる同僚に会ってしまった。
同僚には事の経緯を話し、今日は恐らく行かないと話をした。

 

店の直前まで、行くことは行ってみたものの、
直前で決心をした。

 

直前で真逆に方向転換をし、帰宅の時と同じ電車に乗り込んだ。

 

パワハラのかたまりとの戦争終結

ケータイの電源もすべて切り、行けるところまで電車に乗って行った。

 

とある駅に着き、当てもなく彷徨い歩いて、
ケータイの電源を入れてみたところ、
先輩から電話が何十件と入っていた。

 

着信履歴を見ていると、また先輩から連絡が来た。

 

取るか迷ったが、一応出てみた。
電話に出ないと、先輩もきっと
店長や副店長から叱責されるに違いなかったからだ。

 

「なぜ今日こなかったのか、明日はこれるのか。」

 

「もう仕事は辞めます。明日からもずっと行きません。
ずっと交渉していたけど、取り合ってもらえなかったので、もう限界です。」

 

力を振り絞って話をした。

電話を切った後には動悸が止まらなかったし、
涙も出てきて、人気の無い公園だったのがせめてもの救いだったと思った。

 

そうして、私は土曜日のクソ忙しい日をバックレた。

 

その日の夜、副店長からメールが来た。

「土曜日に無断欠勤した気分はいかがですか?
社会人として絶対にやってはいけないことです。
あなたはもう少しそれを理解していると思いましたが、残念です。
明日は元気に出勤してきてくださいね。」

というような内容だった。

 

それに私は、

「再三、退職の交渉をしておりましたが、一向に取り合っていただけず、非常に残念でした。明日以降も出社する気は一切ございません。本社で保管されている私の必要書類は下記住所まで着払いでお送りください。

と、業務的に返信をした。

 

病院からの診断書も提出し、
何ヶ月も前から離職の意思を伝え、
交渉したにも関わらず、全く聞く耳を持たなかった会社の人間たち。

本当ならもっと色々言いたかったが、
金輪際、関わりたく無いというのが本心だった。

 

この後、返事はおろか、半年以上 関係書類は送られて来ず、
区役所の人を通して依頼をして、ようやく返却してきたのだった。
(離職票なども無く、再就職活動などにも支障をきたした。)

 

こうして、私の離職大戦争は終了した。

Photo by Annie Spratt on Unsplash

まとめ

こうして思い出しながら書くことも苦痛だったが、
私のこんな体験も誰かの力になればと思い、書き留めてみた。

10年近く経った今でも、当時の夢はたまに見るし(ひどい時は連日)、
その夢を見た日は一日気分が最低最悪。
そのくらい私に大きなショックを与えた期間なのだ。

 

10年近く経つ今でも、
店があった最寄りの駅を通過する時は細心の注意を払うし、
スタッフ、お客さんなどわかる範囲の全ての連絡先、SNSは遮断した。
もう何も関わりたくないし、思い出したくもない。

  

当時の洗脳がもう少しマシだったら労基に駆け込むとか、
色々できたのだと思うが、当時の私には全くそれができなかった。

 

仕事は辞められないし、自分が抜けたら仕事は回らないはず、
と思っている人もいるかもしれないが、
辞めても仕事は、いる人でどうにか回るものだし、
会社を辞められない、なんてことはないので、
体に鞭打って、我慢しながら、精神をすり減らしながら、
仕事に通うくらいなら、一度休む期間を設けるためにも、
会社に行かないという選択もあるということを知ってほしい。

 

・・・と、
自殺を考えるほど追い詰められた過去がある私は思う。

 

連休を終えて、出社が嫌で仕方ない人は、
私のような選択をすることもできるのだ。

 

職場は一つではないし、
「そんなんじゃ、どこに行ってもやっていけない!」わけはないし、
「お前の代わりはいくらでもいる!」なら抜けても問題ないわけだし。
無理する必要はない。

 

もっと自分勝手に生きていいのだ。

 

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スズキ
1988年1月生まれ。神奈川県横須賀市出身。青森にもルーツ有。 元美容師。海外で美容師として働く夢を叶えるべく、都内短大(英文学)卒業後、都内美容学校へ。都内サロン退職後、2014年に韓国留学。留学終了後、帰国。都内韓国関連会社勤務後、横浜から福岡に移住し、現在は日本国内で韓国関連、日韓交流の仕事に携わる。韓国の田舎の姿にハマり、現在は、週末・休暇を利用して、韓国の地方都市の旅をしている。好きな食べ物はスンデ。

コメント

  1. juliet より:

    初めまして◎ヘアメイク関連の記事を検索していたら、ブログを見つけたので拝見させていただきました!私は今現在美容師をしてます。記事をみながら他人事に思えなく、怒りすら覚えました。そして悲しいです(;_;) 幸い、わたしの勤め先はよくわからない辞めさせない空気も、過剰な上下関係もないので毎日楽しく過ごせていますが、周りのスタッフの前働いていた店舗がこの記事に書かれていることと全く同じようなことをされていて、そういうお店が他にもたくさんあるのだと思い衝撃でした…。美容に限らず、自分が何者なのかわからなくなるような仕事は自分自身が壊れてしまう前に離れるべきですよね(;_;) 長々となってしまいましたが、たくさん共感したのでコメントしてしまいました…これからもブログみますね!

    • スズキスズキ より:

      コメントありがとうございます!私も自分が美容師になる前は、
      そんな話を耳にしても、稀にあるそういう店がオーバーに語られているだけだろう、と思っていましたが、
      実際同業の友人の話を聞いても似たようなことはよく起きているようです。
      julietさんの職場の方も同じような経験をされたんですね。
      自分自身が壊れていくときは、なかなかわからないので、
      「行きたくない」と思い始めたら早めに避難(職場からの避難)をすることが大切だと感じました。

      コメントとても嬉しかったです!これからもよろしくお願いします^^

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