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イギル・ボラ監督作「きらめく拍手の音」を見て、思ったこと。

韓国

先日、「きらめく拍手の音」という映画を見た。

 

この映画は、イギル・ボラ監督の両親(ろう者)を撮ったドキュメンタリー映画で、「イギル・ボラ監督にとっての日常」を収めた映画。しかし、それは、聴者の文化のそれとは大きく違っていた。

 

私はこの映画や、イギル・ボラさんに対する情報は何もない状態で、この映画を見た。
この映画と、その後に開催されたイギル・ボラ監督と九大の辻野先生のトークショーを聞き、
感じたことをここにまとめたいと思う。

 

この先、一部ネタバレを含みます。

 

 

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イギル・ボラ監督

この名前を見た時、「イギル」という苗字は韓国ではまず見ないので、私は「おや?」とちょっとした違和感というか、「何かあるんだろうな」という勘が働いた。

 

それは以前、「82年生まれ、キム・ジヨン」のKBCシネマでの上映会&トークショーの際に、今回もトークショーをされた辻野先生が「俳優のコン・ユは、両親の苗字をとってコン・ユという芸名として活動している」とおっしゃっていたからだった。

 

今回の「きらめく拍手の音」の監督であるイギル・ボラ氏もまた、ご両親の苗字の両方を名乗っていると、終了後のトークショーで辻野先生の言及があったので、はじめに感じた「おや?」は、「やはりそうか。」と腑に落ちた。

 

韓国では普通、子供は父方の苗字を名乗る。キム氏、イ氏などの姓が多いが、その前に地域名がつき、同じ「キム」氏でも、どのエリアのキム氏なのかを区別する。韓国人同士で自己紹介する際などに同じ姓だった場合などは「どこのキム氏ですか?」と、どこの系統の氏なのかを聞くこともある。(姓は出身地や自分の先祖に関する情報でもある。)

 

コーダ(CODA)という存在

コーダとは「Children of Deaf Adults」の頭文字をとった言葉で、「聞こえない親のもとに生まれた聞こえる子ども」を意味する。イギル・ボラ監督はこの「コーダ」として育ち、そしてこの映画を撮ったそうだ。

 

辻野先生も自身のTwitterでこうおっしゃっていたが、
多くの人はこの「CODA(コーダ)」という言葉すら馴染みがないのではないだろうか。

 

私もその一人だった。

 

今回の「きらめく拍手の音」の映画を見て、この言葉に初めて触れた。

 

この映画では、「耳の聞こえない両親」と「聞こえる子供」の日常がドキュメンタリーとして映し出されている。

 

「障がい者の子供は悪いことをしてはいけない」という先生の言葉。

 

「あの子は障がい者の子供だから」と言われた経験。

 

「9歳の子供が銀行に電話をして、親の代わりにうちの家にいくら借金があるのかを話した」とか「親の代わりに不動産屋と話をした」というエピソードも出てきて、「手話(親)→話し語への通訳(子)」となり、やり取りを進める場面も出てきた。

 

これを見た在カナダ・在ヨーロッパなどの同胞たちは「英語ができない両親のために、英語⇔韓国語の通訳をした自分」を重ねたという。(イギル・ボラ監督の上映後トークより)

 

そして、私も小さい頃を思い出した。

 

私の母は嗅覚が弱い。

 

「障がい者」という名称で一括りにするには、
「普通」の生活を送ることに問題が無い(ように見える)。

 

私が幼少のころ、母が風邪に罹った際にウィルスか菌が嗅覚の部分に悪さをして、何年、何十年もの間、嗅覚が弱く、現在も以前よりは少しよくなったらしいが、嗅覚は弱いという。

 

嗅覚が弱くなると、味覚も鈍感になるため、日々の食事の味見は母の代わりに私がしていた。幼い私は少ない語彙の中から「しょっぱい」とか「薄い」とかを伝えたのだった。

 

母は鍋を火にかけたことをうっかり忘れて、黒焦げになっても匂いが分からなかった、ということもあった。

 

イギル・ボラ監督は、トークの中で「今でも私は手話をしている人にすぐ目が行くし、身振り手振りが無意識のうちに大きくなってしまう」と言っていた。小さな頃から「訓練」されたことが身体に習慣として染み付いているのだろうか。(今、私が「匂い」に敏感なのは、この時のことがあったからだろうか。と、この文章を書きながらぼんやりと思った。)

 

立場は違えど、「子」として「親」の代弁者になる自分の経験を重ねながら、映画を見進めた。

 

手話という1つの言語

私の伯母は手話通訳士だった。

 

親戚の集まりの際などに世間話の延長でろう者に関する話は聞いたことがあったし、伯母から簡単な手話を習ったこともあった。手話と全くの接点がない人よりは手話に触れていたにも関わらず、恥ずかしながら「手話は話せない人が”話す”代わりに使うハンドシグナル(字の通り、手で話す)」くらいの認識だった。しかし、今回のイベントを通して「手話は1つの言語」だという認識に変わった。(手話やろう者が全く自分ごととして落とし込めていなかったが、そのきっかけとなった、というような感じが近いのかも。)

 

耳が聞こえないことを「障害」ではなく、「文化」だと話すボラ監督の言葉は、私の中でもやもやしていた気持ちを、すっきりとまとめてくれたように感じた。

 

「障害」を「障がい」と表記するようになったけど、その語感からいつもどこかに抵抗があり、ずっとすっきりしない思いがあった。「ハンディキャップ」というカタカナ語で濁すのも違う気がする。というもやもや。(夫婦を「主人」と「奥様」という服従関係が垣間見られる名称で呼ぶことへのモヤモヤと似ている。仮に男性側を「旦那さん」と呼んだ時に女性側を失礼なく指す言葉が見当たらなかったりもする。)

(あとでリライトする予定ではあるけど、今のところはこういう「モヤモヤ」のまま文章を残しておく。)

バリアフリーについても考えた

昨今、コロナウイルス感染症の影響でマスクが人々の標準装備となった。
そのため、口元の動きでその内容を判断したり(読唇術)、誰が話しているかを判断していた状況が以前よりも難しい状況にある。

  

コロナになってから、政府の記者会見や、行政の公表する情報にアクセスする機会が増えた。行政の公表する情報で「???」となったのは、コロナに関する情報で「外国語表記はこちらから」と外国人向けの情報が日本語で案内されていたこと。

 

コロナに関する政府の記者会見に手話通訳士がいないということが話題になったことも記憶に新しいが、外国人向け情報の案内の問題と、手話通訳士がいない問題の根本は同じことなのでは、と思っている。

 

それはなにか。

 
相手の立場に立って考えられていないということ。

 

もう少し噛み砕いて言うなら、情報を発信することに一生懸命になりすぎて、情報を受け取る側の想像ができていないからこうした不具合が起きているのだと思う。(情報は相手に伝わってこそ、ですよね。)

 

言語の違いによる情報格差は「情報のバリアフリー」化を目指して進めるべきだと思う。

 

少し話は変わるが、私は観光に関する仕事を本業としている。
この映画を見る少し前、職場にバリアフリーの宿泊施設に関する問い合わせがあった。
電話の主は「パートナーが車いす」という情報をもとに、私に宿泊施設に関する質問をした。

 

しかし、バリアフリーの情報は私の業務関連でもまとまっておらず、オンライン上での検索でもあまりヒットするものがなかったため、1から探さなければならなかった。このとき、「バリアフリー」という言葉こそよく聞くが、実際には情報の整理はされていない、という現状を目の当たりにした。

 

2018年の厚生労働省の調査によると、「障害者の総数は936.6万人であり、人口の約7.4%に相当。(資料引用)」ということらしい。100人中7人くらいは何らかの障がいなどがあるということになる。この数字は、左利きの人の人数と同じより少し少ないくらいの比率だ。

 

人口の7%もいるのに、見て見ぬ振りをされているような現状。
しっかりと自分ごとに落とし込んで、考え、改善していくべき案件。

 

ろう者の世界に触れる

この映画は手だけが映されるシーンも数多く出てくる。
そして、字幕も音楽の説明や背景の音の説明もかなり詳細につけられている。

 

手話がわからない私は、この映画の中心であるイギル・ボラさんのご両親の話していることは、字幕を見ればわかるが、目を閉じると途端にわからなくなってしまう。マスクで口を覆われた人達が話す言葉がわからなくなってしまうのは、こういうことなのだろうか、と少し長めに目を閉じてみて体感してみたりもした。

 

ろう者がカラオケに行く場面なども映画の中に出てきて、今まで知ることができなかったろう者の<文化>に触れることができた映画だった。同時に、以前よりもほんの少し自分ごととして考えられるようになった気がする。

 

今回の上映会も、急遽 手話通訳をする方が出てきたり、タイピングで画面共有する方が出てきたり、トークショーでは「聞こえない方々が誰が話しているかわからないと思う」と口元を見せるように促したイギル・ボラ監督の配慮だったり、みんながそれぞれを思いやって作り上げられた空間だったな、とその日を思い出してはあたたかな気持ちになるイベントだった。

 

 


 

ここまで、上映会に参加してから時間が経たないうちにアップしたいと思って、半ば書き殴るようにしてまとめているので、近いうちにまたリライトしたいと思っています。

 

この日のトークショーでイギル・ボラ監督との対談をされていた九州大学の辻野先生のnoteもぜひ読んでみてほしいので、リンクを貼っておきます。

 


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Profile
すず

1988年1月生まれ。神奈川県横須賀市出身。青森にもルーツ有。
元美容師。海外で美容師として働く夢を叶えるべく、都内短大(英文学)卒業後、都内美容学校へ。都内サロン退職後、2014年に韓国留学。留学終了後、帰国。都内韓国関連会社勤務後、横浜から福岡に移住し、現在は日本国内で韓国関連、日韓交流、観光インバウンドの仕事に携わる。韓国の田舎の姿にハマり、現在は、週末・休暇を利用して、韓国の地方都市の旅をしている。好きな食べ物はスンデ。

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